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「軽井沢ウイスキー」復活 新たに製造開始

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 軽井沢町に新たな蒸留所「軽井沢ウイスキー」(軽井沢町発地)が設立され、2022年冬から製造が始まった。 同社は日本酒「寒竹(かんちく)」の銘柄で知られる1653年創業の「戸塚酒造」(長野県佐久市)の16代目蔵元でもある社長の戸塚繁さんが個人出資して設立された。蒸留所設立に懸ける思いと苦労を戸塚さんに聞いた。

-軽井沢ウイスキーを設立した経緯を教えてください。

(戸塚)私が東京で修業していた頃、酒類関係の卸問屋にいて、その時に海外からの輸出入部門があり、そこはビールからウイスキーまでいろいろな洋酒を扱っていました。都内のバーとか夜に営業に行くのですが、「飲み要員」を兼ねて、先輩たちに連れていってもらっていました。その仕事で飲食店を回った時にウイスキーに出合いました。

-戸塚さんは佐久市の戸塚酒造の16代目蔵元でもありますね。

(戸塚)私の地元は佐久ですが、そこではウイスキーを飲む人はそれほどいなかったので、熟成酒も面白いなと思いました。日本酒は熟成させて、できてからはそんなに長く寝かしません。できてから大体 1 年ぐらいで勝負というのが普通ですが、ウイスキーだと 50 年物みたいなものがあるという世界があり、熟成というのも面白いなと思い、できればいいなと感じていました。

 戸塚酒造でも同じ蒸留酒で焼酎はやっていたのですが、その当時は、やはり熟成するという文化があまりなく、焼酎は透明のまま売る感じでした。

 ウイスキーメーカーというと大酒造しかできないというのが通説で、そんなにたくさんあるわけではない。結局できても何年間と寝かせなければなりません。その権利を先に販売してうまく回す方法で、埼玉で取り組んでいるところがあると聞き、この方法なら当社でもできるのではないかと思いました。

 本当は戸塚酒造に元々ある蒸留器でできればと思っていました。ですが、やはりウイスキーの世界では、それは受け入れられず、蒸留器はステンレスではなく銅製のポッドスチル(単式蒸留器)じゃないと本物じゃないと言われてしまう世界です。

写真)「軽井沢ウイスキー」工場内作業風景。銅製のポッドスチルで蒸留される

そこで、いろいろと計画を立てて動き出しましたが、途中でコロナ禍になり、1 年半ぐらい計画は遅れてズレてしまったのですが、何とか軽井沢の地で実現することができました。

-軽井沢で実現することにこだわったのですね。

(戸塚)はい。軽井沢ウイスキーと名前を付けるのであれば、やはり町内で挑戦しないと思い、何回もやめようとも思ったのですが、ようやくいい場所を見つけることができました。でも、軽井沢町は別荘地などのために土地規制が厳しく、土地が1000 坪あっても 200 坪しか建物が建てられません。このビジネスはこれから貯蔵庫もどんどん必要になってきます。将来的には、ここだけだと難しくなるので、貯蔵庫は御代田町など、いろいろなところでやってみようと思っています。

写真)軽井沢町に完成した「軽井沢ウイスキー」工場全景

-工場を稼働したのはいつですか?

(戸塚)2022年の12月1 日に稼働しました。

-実際に稼働して、いかがでしたか。

(戸塚)最初の 12 月は何もなく、初めて全部稼働させるとうまく回らないこともあったのですが、1 月からは安定して蒸留できるようになりました。そんな中でできたウイスキーは当然まだ無色透明なのですが、評論家やバーテンダーの方からすごく高い評価を頂き、ほっとしました。

写真)蒸留器で作業する中里工場長

-毎日醸造しているのですか?

(戸塚)醸造と蒸留の工程がありますが、蒸留はほぼ毎日やっている感じです。たるに詰めて、貯蔵庫へ移動し、それを寝かせます。 

写真)醸造された後に蒸留される

-どのように販売していく予定ですか?

(戸塚)10年だと忘れられてしまうので、3年目、 5年目、 7年目ぐらいの節目で、国産ウイスキーメーカーや同業とコラボして、ブレンドしたものをブレンデッドウイスキーとして 10年の間に3 回出す予定です。最終的には10年後の 2032年に、完全なシングルモルトを出したいと思います。

-予約はできるのでしょうか?

(戸塚)そこを今、どうしようかなと思っているのですが、今の段階だとボトル売りが当然ありません。たるの権利販売の方は、予約がほぼいっぱいで終わっている状況です。国内と海外で、大口の方がほとんどです。1つ、2つではなく、たるを複数所有したい方がほとんどです。

-海外はどちらからの予約が多いですか。

(戸塚)EUエリアとアメリカ北部エリアです。あと、アジア、台湾、香港、中国が主な買い手になります。

-やはり「軽井沢」のブランド力でしょうか?

(戸塚)そうですね。軽井沢へのこだわりでもう一つ大きいのは、旧メルシャン軽井沢ウイスキー蒸留所 で最後の工場長だった中里美行さんを工場長に迎え、顧問に最後のモルトマスターだった内堀修省さんを迎えました。このお二人の経験者が旧メルシャン時代のウイスキー造りを知っていたことです。お二人のおかげで、ここまで来ることができました。お二人の名は世界的にも通っています。

写真)「軽井沢ウイスキー」代表取締役社長の戸塚繁さんと工場長の中里美行さん 

さらに、水は浅間山や八ヶ岳山麓の水を使い、原料の大麦は軽井沢産と地元の麦を地元農協や地元農家の皆さんと協力して栽培したものも使う予定です。

 写真)浅間山の麓に建てられた「軽井沢ウイスキー」工場

それから、なかなか手に入らない何十年使ったようなシェリー酒のたるを使っています。これは貴重なものです。このたるに入れることで、あの上品な香りと味わいになります。国産の場合は、バーボンだるに入れたウイスキーがほとんどです。

写真)苦労して手に入れたシェリー酒のたる。上品な香りと味わいが生まれる。

-生産量はどのくらいですか?

(戸塚)今は230リットルのたるで年間 250本を生産していきます。これを 10年寝かせると、恐らく 200 リットル 以下になります。そうすると 700ミリリットル入りのボトルで 200本ぐらい取れればいいかなと思っています。

-最後に軽井沢ウイスキーに懸ける思いをお願いします。

(戸塚)軽井沢は洋酒の文化が元々根強い地域性だと思いますが、その割に軽井沢町内にアルコールメーカーが、今までありませんでした。ここで食の文化の、発酵・醸造の新たな文化をしっかり、この数十年じゃなくて長く長く続けていき、土産や贈り物をしたときに軽井沢ウイスキーがすごく喜ばれるとか、そういう風に軽井沢町の方に愛してもらえるような、魅力ある商品作りをして、文化として根付かせたいというのが願いです。

写真)書家の紫舟さんが書いた「軽井沢ウイスキー」の看板

-ありがとうございました。


 

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