軽井沢ではカーリング熱が高い。札幌で1月27日に開幕する日本カーリング選手権にNPO法人「スポーツコミュニティー軽井沢クラブ」の男女4チームが出場する。
そんな地元のカーリングチームを支援している、創業1936(昭和11)年創業の洋食店「レストラン菊水」のオーナーシェフ齊藤亮介さんに、老舗洋食店を経営するモットーとカーリングチームを支援する思いについて聞いた。
ーレストラン菊水の歴史を教えてください。
ーレストラン菊水は、旧軽井沢で私の曽祖母の土屋花子が1936(昭和11)年に創業。その後、曽祖母の息子である先代の叔父夫婦が1970(昭和45)年ごろから経営していて、おいの私は1978(昭和53)年生まれで、幼い頃から店には食事をしに行っていたのですが、高校生の時からアルバイトで手伝いをしていました。
2006(平成18)年まで経営していた叔父の代替わりで、2007(平成19)年から経営を任されるようになりました。
ーなぜ、おいの齊藤さんがお店を継ぐことになったのですか? 引き継ぎまでのプロセスも教えてください。
(写真:店内には画家であるいとこの絵を飾る)
ー叔父には息子がいますが、店にも絵を飾っている画家なんです。私は料理がもともと好きで、高校生の時からアルバイトで店を手伝っていたことや、親戚の集まりで、「店をやってみないか」と言われたりしたことから、徐々にその気になった…というところでしょうか。料理専門学校を出て、横浜のフレンチの店で7年間ほど修業後、引き継ぎ準備期間として3年間店で働いてから、2007(平成19)年に引き継ぎました。
(写真:レストラン菊水 旧軽井沢の店の絵)
ー「レストラン菊水」は旧軽井沢のお店が長かったですが、いつ、長倉に移転したのですか?
ー店を2007(平成19)年に引き継いで、10年して2017(平成29)年6月、今の場所に移転しました。こちらの店にも以前の旧軽時代からのお客さまや地元の方が多くお越しになり、うれしく思っています。
ー老舗を引き継ぐ際、どのような苦労があり、それをどのように乗り越えましたか?
ー引き継ぐに当たり、レシピらしいレシピがなかったことです。先代自身の中で感覚ではレシピはあったのだと思うのですが、そんな中での引継ぎは苦労しました。「叔父さんの味と違う」と言われることも多かったので辛い思いもしました。引き継いでから今20年ほどたちますが、今でも叔父の味と100%同じではないかもしれません。徐々にお客さまの舌も自分の味に慣れてくれてきたのかな…と思います。まず、料理を作っている自分が自分の料理のファンであり続けられるように料理を毎日作っています。
ー意識してレシピを提供していることはありますか?
ー受け継いだものを守り、変わらないことを毎日続けることを意識しています。もちろん変わらないものが多いのですが、新しく自分なりの味も提供していきたいと思い、昔提供していたが今は提供しなくなったメニューを形を変えて提供したりしています。メニューのアレンジの挑戦としては、例えばポークソテーは元々ありましたが、メンチカツやポークジンジャーなど、「洋食屋で食べたいものは?」というものを、以前からのメニューをアレンジして提供しています。ビーフシチュー、ビーフストロガノフなど、昔から親しまれているメニューを夜メニューとして提供したり、ビーフカレーやオムライスは昼のメニューとして提供したりするなど、メニューの内容も昼と夜で変化をつけています。
(写真:ランチメニュー ハンバーグステーキ目玉焼き添えのセット 1,950円)
(写真:ランチメニュー 若鶏の鉄板焼きのセット 1,750円)
ー老舗なのでお客さまのメニューの頼み方に特徴はありますか?
ー長く店に通う方などは、メニューを見ないで「ヒレカツ定食を」などと、来店前から決めて注文する方も多いです。3世代で来店し、おじいさまが毎回一押しの「ビーフカレー」を頼むので全員同じ「ビーフカレー」しか食べたことのないご家族があり、おじいさまが亡くなって初めて別のメニューに挑戦してみた。でもやはりおじいさまとの懐かしい思い出を感じたくて「ビーフカレー」を頼んでしまう…という家族のエピソードもあります。
ー齊藤さんが力を入れている地元カーリングチームの支援ですが、なぜそうしたことを始められたのですか?
ーもともと、私は中学校2年生からカーリングをやっていたんです。軽井沢スケートセンター アイスアリーナに親に連れて行ってもらい、カーリング体験したのがきっかけです。その頃は、長野オリンピックが招致される前でした。カーリング人口も全国で300~400人くらいだったんです。カーリングがオリンピックの正式種目になるだろうといわれていた頃です。軽井沢のカーリング人口も少なすぎたので、ジュニアでチームも組めず、自分と東京の人、栃木の人、神奈川の人と遠方同士でジュニアでチームを組んで本州で1位になったんです。男子は本州でジュニアが1チームしかなかったからなんですが(笑)。もちろん北海道はカーリングが盛んでしたが。
ー今はカーリング熱の高い軽井沢にも、そうした時代があったのですね。その後、カーリングは続けられたのですか?
ー料理を学ぶため軽井沢を離れ、関東の専門学校へ行き、戻って来てから再び遊びでカーリングをするようになって、大会に出たりしていました。その中で、SC軽井沢クラブ発足などを目の当たりにし、地元にカーリングチームがあれば…と自分にできる支援を始めました。もう4シーズン継続で、トップチーム本人や関係者が使える食事のチケットを人数分×年間の値段を決めて、提供しています。試合の合間や練習の合間に店に立ち寄ってくれて、選手たちが「おいしい」と言って食事をしてくれる。これが自分にとっても喜びとなっています。
ー店内のカウンターに一列に並んで選手たちがご飯を食べている姿も見かけますね。「菊水カップカーリング大会」も定期的に主催し、多くの企業に協賛を募り、軽井沢のカーリングを盛り上げていく活動をしたり、カーリングのイラストの入ったトートバッグを店内で販売したりしていますね。
ー既に「菊水カップカーリング大会」はこれまで5回、開催してきました。また、昨年2回に分けて販売した、カーリングのイラストと店のロゴの入ったオリジナルトートバッグの収益などを生かして、SC軽井沢クラブの選手に指導してもらい、「ジュニアカーリングスクール」を開くことも今後の目標です。皆さまの温かいご支援でカーリング界が盛り上がればいいなと思っています。
ー今の選手たちの支援のみならず、次世代のカーリング界を盛り上げていくことも視野に入れながら、長年の味をお店のファンのために守り、ますます進化することを期待しています。
「レストラン菊水」(軽井沢町長倉、TEL 0267-44-1188)